紡
tsumugu
色褪せない今を紡ぐ

タカラレーベン東北が山形市に提案する住まい。
本当の暮らしやすさを真摯に考え、
選び抜いた「場所」に
未来へと遺すべき“今”を体現した
「建築デザイン」を創造します。

notfadeaway

「レーベン山形旅篭町 CROSS THE TOWER」が誕生する場所は
歴史が証明するように、かつては宿場町であり、
幾多の人がこの街を往来し、交流を重ねながら、
山形文化の発展が進んでいったと云われています。
わたしたちがこの場所と出逢ったのも、大きな歴史的観点のなかに於いて、
何かの縁であるように感じます。
いにしえの時代から、人やモノ、様々な価値を繋いできた「旅篭町」。
LEBENは、この街を選び、そして、住まいを通じてあなたの大切な人や時を紡ぎ、
快適や洗練という世界のなかで、あなたは人世を、幸せを紡いでゆく。

色褪せない今を紡ぐ。
ということは、過去を大切にするだけでなく、
前向きに、革新的に未来に挑戦していくこと。
「伝統」と「革新」を体現している
書道家 万美さんに、この「紡」という文字を
表現していただきました。

書道家 万美 /
Calligrapher MAMI

9歳で筆を持ち、高校時代より書家を志す。
古典に立脚した書道と、様々なカルチャーとの共通点を見出し
数多くのコラボレーションを実現。
独自のスタイルである "Calligraf2ity" を信念に
日本各地、世界各国を巡る。

hatagomati

いくつもの想いが交差したであろうこの街の歴史に想いを馳せ、
その深く刻まれた時間に包まれながら、新しい明日は始まる。

山形城下町が最上義光公によってつくられた江戸時代から、この地では「旅籠業」が営まれていました。現在の山形銀行本店あたりには、大名の泊る本陣宿があり、江戸期の記録によると、周辺には賀川屋、佐久間屋、藤屋、松沢屋、越後屋、柴田屋などの旅籠屋があったそうです。こうした旅籠を宿としながら様々な商いが行われていました。明治以前にあった「松前屋」は、北海道の松前に「山形屋」という店を設け北海道の海産物を山形城下まで移入し、山形からは古着、太物、米などを北海道に運び、その利益で松前藩の城門造りに協力していたそうです。また、旅篭町には、茶店、薬屋も多く、お茶売りは、京山城・宇治からも仕入れていましたが、茶の実を仕入れて高瀬村あたりで栽培させるなど、地元の産業活性にも貢献していました。越前屋といわれた千歳角上印の醤油屋、佐治吉左衛門は、明暦2年(1656年)から大正ころまで続けられたタマリ作りの老舗でした。醤油だけでなく、絞り粕や醸造した製品で「やたら漬」を生産し、山形の食文化を築きました。
旅篭町は武士のみならず、三山行者、商人も宿泊し、他国の情報や文化を伝達する町でした。そうして、食文化のみならず、写真文化や化学薬品等の学術まで様々な新しい価値観がこの街に芽生えていきました。明治14年9月、明治天皇が山形県を御巡幸なされた際には、県庁通りの近代都市建設を讃めて下さったそうです。さらに英国人のイザべラ・バート女史にいたっては、天皇より早く訪れ、山形の西欧式建築を見て称讃し、英国へ記録を送っているほどです。あらゆる文化が交差するなかで、建築デザインにおいても豊富な知識が育まれていったのでしょう。明治29年には山形城跡に陸軍が誘致され、旅篭町の旅館には政府高官や文化人森鴎外、有島武郎なども逗留して、行政面だけでなく、近代的な文明の足跡を残していきました。「レーベン山形旅篭町 CROSS THE TOWER」は、この旅篭町にあって創業135年を誇る国登録有形文化財にもなっていた、やたら漬けの老舗「丸八やたら漬け」の跡地となります。幾多の想いを載せて、新しい今日が、この地からまた始まります。

老舗漬物店「丸八やたら漬」

1885(明治18)年創業の老舗漬物店「丸八やたら漬」の跡地に「レーベン山形旅篭町 CROSS THE TOWER」は誕生いたします。(写真提供:河北新報社)

霞城公園 約700m(徒歩9分)

霞城公園 約700m(徒歩9分)

霞城公園 約700m(徒歩9分)

霞城公園は、市街地のほぼ中央に位置し、約35.9haの面積を有する山形城跡を整備した都市公園です。
延文元年(1356年)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したのが始まりと伝えられ、現在の城郭は第11代城主最上義光(1546年~1614年)が築いたものが原型とされています。本丸・二ノ丸・三ノ丸の三重の堀と土塁で囲まれた、全国有数の規模を持つ輪郭式の平城で、出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れて見えなかったことから「霞ケ城」とも呼ばれていました。現在残っている二ノ丸の堀や土塁・石垣は、最上家改易後、元和八年(1622年)に城主となった鳥居忠政により整備されたと伝えられています。
昭和61年に国の史跡指定を受け、平成18年には「日本100名城R」に認定され、現在は桜と観光の名所になっています。

※「日本100名城R」の選定は日本城郭協会が財団法人となって40周年を記念する事業として、文部科学省・文化庁の後援を得て企画され、平成18年2月に発表されました。

文翔館(正式名称「山形県郷土館」)は、山形県山形市の中心部にある国の重要文化財「山形県旧県庁舎及び県会議事堂」を修復・利活用している施設です。明治9年に現在の山形県が成立した後、初代県令三島通庸の手によって明治10年に山形県庁舎が、また同16年に県会議事堂が旅篭町に建設されましたが、同44年5月の山形市北大火により両棟とも消失してしまいました。ただちに同地で両棟の復興が計画され、大正2年4月に着手、同5年6月に完成したものが現在の旧県庁舎及び県会議事堂です。県では、この文翔館を貴重な文化遺産として保存するとともに、県民の郷土への理解を深め、また本県文化の振興を図るための施設として活用することとし、平成7年10月1日開館しました。重要文化財としての保存公開を実施するほか、郷土についての常設展示コーナーを設けるなど新たな機能を備えて、多目的な文化施設を目指しています。また、ギャラリー、会議室、ホールとして利用できる一般利用スペースも設け、県民の文化活動のステージを提供しています。

山形県郷土館「文翔館」 約500m(徒歩7分)

山形県郷土館「文翔館」 約500m(徒歩7分)