

練兵町、そこはまさに熊本史とともに
歩み続けてきた「正統の地」。
歴史を彩る数々の史実の舞台となり、
都市発展の拠点として時代を拓いてきたこの街に
17年ぶり※1となる
待望のデザインレジデンスが誕生する。
綿々と受け継がれてきた別格の系譜を昇華させ、
都市生活のダイナミズムと
先進性を纏う全51邸。
誇り高く、その風格とともに邸宅は、
次代の到来を宣する。
練兵町。
熊本城とともに
400余年の歴史を
歩み続けてきた、別格の地。
豊臣秀吉の九州平定後、1588(天正16)年に肥後北半国の領主となった加藤清正は、
居城「隈本城」の改修、城下町の整備、河川改修などを実施。
1600(慶長5)年の「関ヶ原の戦い」後に肥後国全域を領地とすると、
54万石の太守にふさわしい城として、
「茶臼山」一体に当時の千葉城も含めた巨大な新城の築城に着手。
1607(慶長12)年、後に「日本三大名城」と称される城が完成し、
名称を「熊本城」としました。
城の南に位置する「山崎(現在の練兵町、辛島町など熊本中心地)」は
「白川」の改修後に城下町となり、清正の別邸「花畑屋敷」が建てられるなど、
熊本藩の重臣たちが居を構える武家屋敷街となりました。



熊本史の主舞台、
激動の時代の中心に。
明治維新後、1871(明治4)年の廃藩置県により「熊本県」となると、明治政府は熊本に「鎮西鎮台」を設置。1873(明治6)年に「熊本鎮台」となり本営を熊本城本丸に置き、九州全域を管轄地としました。この熊本鎮台の兵は、その後の「西南戦争」で中心部隊である西郷隆盛の軍を退けるなど活躍。1888(明治21)年には第六師団が組織され、西南戦争において武家屋敷が焼失した山崎の大部分が「練兵場」となり、日清戦争ではここから第六師団が出陣するなど、「軍都」としての存在感を強めていきます。
その名に刻み込まれた
由縁と風格を、
今に受け継ぐ。
明治末期になり、熊本市は上下水道や公共交通機関の整備に着手。軍部に働きかけ市の中心地にあった「山崎練兵場」を移転させ、そこに新市街の建設を始めました。1907(明治40)年には「熊本軽便鉄道」が開業、大正時代に熊本市電となり市民生活を向上。そして1908(明治41)年に練兵町や辛島町、花畑町など6つの町が誕生しました。
以降、練兵町は国の出先機関や金融機関が多く集まる熊本の中枢として発展。1908(明治41)年に劇場大和座が開館、1910(明治43)年には九州新聞社が本社を置き、1951(昭和26)年には肥後銀行本店が建設されました。また、練兵町は「医者と弁護士の町」とも呼ばれ、歴史情緒あふれる建物や料亭なども現存。新町・古町へと続く風情も感じることができます。

出典元 : くまもとデジタルギャラリー
九州地方を管轄した熊本逓信局。
現在の「日本郵政(JP)」「日本電信電話(NTT)」の前身でもある。

出典元 : くまもとデジタルギャラリー
1961年の肥後銀行本店の行内。





サクラマチクマモト/徒歩5分

2019年オープンの
新ランドマーク
「サクラマチクマモト」へ
徒歩5分。


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熊本桜町バスターミナル/徒歩5分
熊本市桜町に2019(令和元)年に誕生した大型複合施設「サクラマチクマモト」は、バスターミナルをはじめファッション・コスメ、レストランなどが入る商業施設、シネマコンプレックス、ホテルなどバラエティ豊かなフロア構成。屋上階には四季の植栽を楽しめる「桜町庭園」があります。
150年の歴史がある
「慶徳小学校」へ徒歩2分。
文化施設、医療機関なども
身近に。

慶徳小学校/徒歩2分

熊本城ホール/徒歩5分

嶋田病院/徒歩3分
1874(明治7)年創立の「慶徳小学校」は鉄筋コンクリート5階建で、水深を変えられる開閉屋根付きのプールを備えるなど人気の学校。古くから発展した中心市街地だけに、教育・文化施設はもちろん、医療、金融機関※2などの施設が充実。毎日に安心と彩りを与えてくれます。


下通アーケード/徒歩10分


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熊本のメインストリート、
上通・下通・サンロード新市街の
商店街も生活圏内に。


サンロード新市街/徒歩8分
熊本中心市街地を代表するアーケード商店街、上通、下通、サンロード新市街。ファッション、グルメ、カルチャーなど多種多様なお店が連なる都心繁華街も徒歩圏内。お休みの日はもちろん、お仕事帰りにも気軽に立ち寄れる身近さが便利です。


上通アーケード/徒歩17分

鶴屋百貨店/徒歩17分
創業70年の老舗デパート
「鶴屋百貨店」。
1952(昭和27)年に開店した「鶴屋百貨店」は現在熊本市内唯一のデパート。店名は付近にあった「鶴屋敷」と呼ばれる武家屋敷が由来。日本初の「ルックイン・エスカレーター」やデパート初の「サテライトスタジオ」を開設するなど、戦後の熊本の商業都市への発展の象徴の一つでした。

