THE LEBEN 仙台大手町

History/歴史

嘗て青葉城を見守り続けた武家屋敷へ。

かつて初代仙台藩主伊達政宗によって青葉城が築かれ、城の周辺には伊達家を支える重臣の屋敷が配置されました。
本計画地が位置する大手町の一角も、水沢伊達家4代当主伊達宗景の屋敷が設けられ、
以後も伊達家家臣が屋敷を構え、由緒ある系譜を今に伝えています。

眺望写真眺望写真

遥かなる光彩を放ち、歴史に名を残す。

仙台城下図屏風

仙台城下図屏風

江戸時代、
城下一の賑わいを誇った一角。

幕末に描かれた「仙台城下図屏風」では、青葉城と城下町を結ぶ大橋を中心に、右側に城下の町並みを、左側に川内の上級家臣の屋敷が描かれています。図中には重臣と推測される騎馬や加護の行列、僧侶の姿などが描かれ、当時の町の賑わいが伝わってくるようです。大橋の右側の大通り沿い一帯が大手町にあたり、武家屋敷が立ち並ぶ町であったことがわかります。

仙台城下図屏風

仙台城下図屏風

青葉城正面の要地として
明治を迎えた町。

大手町を含む城下町一帯が早くから機能的な都市として整備されていたことを教えてくれるのが、「明治元年現状仙台城市之図」。広瀬川の東側に展開する城下を青葉山から写実画風に描いた絵図で、碁盤の目状に区画された町割りが詳しく描かれています。大手町は手前中央部の大手門から大橋を渡った付近にあり、城下でも要地に位置していることを確認できます。

嘗て青葉城を見守り続けた
武家屋敷へ。

かつて初代仙台藩主伊達政宗によって青葉城が築かれ、城の周辺には伊達家を支える重臣の屋敷が配置されました。大手町の一角は、広瀬川の河岸段丘で形成された海の岬のように突き出た地形で、城下で目印となっていた七つの岬「仙台七崎」のひとつ「藤が崎」と呼ばれ、眺めの良い景勝地として伊達家の藩士が競い好んで屋敷を建てていました。本計画地にも、水沢伊達家4代当主伊達宗景の屋敷が設けられ、以後も伊達家家臣が屋敷を構え、由緒ある系譜を今に伝えています。

奥州仙台城絵図

奥州仙台城絵図

家系図
眺望写真眺望写真

伊達政宗公が眺めし、未来へ。

源吾茶屋(徒歩2分/約150m)

源吾茶屋(徒歩2分/約150m)

櫻岡大神宮(徒歩2分/約150m)

櫻岡大神宮(徒歩2分/約150m)

歴史の王道を歩みつづけてきた誇り高き系譜。

1645年に作成された「奥州仙台城絵図」では、大手町に位置する本計画地は「侍屋敷」と記されています。その後も、1664年に水沢伊達家4代当主伊達宗景の屋敷が設けられたのをはじめ、伊達家家臣の屋敷地として受け継がれていきます。明治から近年にかけては、国の養蚕試験場、控訴院(現在の高等裁判所)の官舎、検事長官舎、裁判官官舎などの敷地として使用されました。まさに、民間で所有も使用もされたことのない、たぐい稀なる地です。

 

新たな時代の幕開けを告げる孤高の存在として。

伊達政宗公像がそびえ立つ青葉城址からの見晴らしは、杜の都を象徴する風景そのもの。その中心部に誕生すべくプロジェクトを始動した「THE LEBEN 仙台大手町」。仙台ならではの風景に、新たな進化をもたらします。しかも、その地はこれまで民間に委ねられたことのない未踏の丘上。このレジデンスの誕生は、まさに「仙台元年」と呼ぶにふさわしい時代の転換点となることでしょう。

計画地変遷史

計画地変遷史

奥州仙台城絵図

モデルルーム(Rタイプ)を撮影(2019年5月)

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※掲載の眺望写真(2018年8月撮影)は青葉城址(現地より1,670m)から撮影したものにCG加工しており実際とは異なります。
※掲載の完成予想CGは図面を基に描き起こしたもので、外観・植栽等は実際とは異なります。
※環境写真は現地周辺を撮影(2019年4月)したものにCG加工しており、実際とは異なります。
※掲載の環境写真は2018年8月に撮影したものです。掲載の距離・分数は現地からの地図上の概算距離を表したもので、徒歩分数は1分を80mで計算し端数は切り上げております。

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